English
更新情報
ニュース トピックス 研究会の紹介 メンバー紹介 イベント情報 アンケート 研究会の発行物 資料ライブラリ 図書ガイド 関連文献目録 スタッフの声 リンク集 送信フォーム |
News
このコーナーでは、一般紙や地方紙のサイトからポルノ・売買春問題や性暴力・性差別にまつわる事件・情報を転載します。ただし、容疑者および被害者の実名や住所の一部は、著名人・公的人物やポルノ業者などを除いて、伏せています。 ■「命の値段こんなものか」遺影抱いた桶川事件の両親 [読売](2003年2月26日) 元交際相手らから執ような嫌がらせを受けていた埼玉県上尾市の女子大生Iさん(当時21歳)が、警察に被害を訴えたにもかかわらず、殺害された桶川事件。国家賠償法に基づく訴訟の判決が26日、さいたま地裁で言い渡されたが、県警に殺人事件の予見可能性はなく捜査の怠慢とIさんの死との因果関係は認められなかった。「絶望を抱えたまま死んでいったIの無念さを晴らしたい」という両親の願いはかなわなかった。法廷の原告席では、IさんのTシャツにくるんだ小さな遺影が、両親の手にしっかりと抱かれていた。言い渡しの瞬間、両親は裁判長をまっすぐ見つめたまま。Iさんの母のKさん(52)は「あまりにも、ばかばかしい判決。命の値段はこんなものか」と憤った。 Kさんはこの日午前11時前、Iさんが大学の入学式で着たグレーのスーツ姿で自宅を出た。「娘も判決を聞きたかっただろうに……」。そんな思いからだ。父のKさん(52)とともに、同日昼、さいたま地裁に入った。 Iさんの刺殺から3年4か月、国賠訴訟の提訴から2年2か月。埼玉県警と長い闘いを続けてきたKさんは「苦しい日々だった」と振り返る。 両親はこれまでの審理でも、県警側の主張に憤りを抱き続けてきた。中でも、Iさんが残した手紙を巡っての応酬は、決して忘れることができない。 〈なぜこんな手紙を書くことになってしまったのか、自業自得なんだけど、すごく自分がバカだったとしか言えません。できれば、この手紙も渡すことなく、無事に帰ってきたい〉 殺害された翌日、ピンク色の便せんにつづった手紙が、Iさんの部屋から見つかった。読んだ瞬間、両親は「遺書」だと悟った。 手紙の日付は、殺害される7か月前の1999年3月30日。この日、Iさんは元交際相手に会って、別れ話に決着をつけるつもりだった。 Kさんは「(このころから)Iは、死ぬこともあり得ると覚悟を決めていた。手紙は身の危険を感じていた証拠だ」と話す。 ところが、県警側はこうした見方を一蹴(いっしゅう)し、「若い女性が、自分が死んだときのことを空想して情緒的に書いた」。Iさんの性格についても、「束縛されることを嫌って自由に行動していた」などと論じた。 Kさんは憤りを募らせた。「あることないこと話を作って、Iをおとしめている。県警側の『人格攻撃』に耐えながら裁判を続けていた」 そんな闘いの末の、この日の判決。「我々に理がある」と信じていた両親の思いは通じなかった。 |