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ケイト・ミレット

『性の政治学』

(ダブルデー社、1970年)

Kate Millett, Sexual Politics, Doubleday, 1970.(藤枝澪子他訳『性の政治学』、ドメス出版、1985年)

シュラミス・ファイアーストーン

『性の弁証法』

(ウイリアム・モロウ社、1970年)

Shulamith Firestone, The Dialectic of Sex, William Morrow and Company, Inc., 1970(林弘子訳『性の弁証法』、評論社、1975年)
     ―――――――――――――――――――――――
 現代史において、ラディカル・フェミニズムの誕生を画したのは、ともに1970年に出版されたケイト・ミレットの『性の政治学』とシュラミス・ファイアーストーンの『性の弁証法』であった。ここでは、このラディカル・フェミニズムの古典中の古典であるこの2つの著作を、ジェンダー、家父長制、セクシュアリティというラディカル・フェミニズムにとって最も重要な3つのキーワードに即して解説する。
 
  ラディカル・フェミニズムとジェンダー・ヒエラルキー
 ラディカル・フェミニズムの文脈においては、社会的・文化的「性」は単に男女別に異なった諸性質を割りあてているだけではない。それは男性が女性に対して優位になるように振り分けている。男性に「能動性」、「攻撃性」、「強さ」を割り当て、女性に「受動性」、「防御性」、「弱さ」を割り当てるとき、この両性質は単に「異なる」という水準にあるのではなく、前者の支配と後者の従属を可能にするような階層的なものである。むしろ、男女間に現実に存在するヒエラルキー(階層秩序)が、男性と女性にそれぞれ、前者が後者に優位になるような社会的・文化的「性」を振り分けていると見るべきである。この男女間に現実に存在するヒエラルキーを特殊に表現する概念が、「階層としてのジェンダー」である。
 したがって、この場合のジェンダーは、単なる「性差」ではなく、すぐれてジェンダー・ヒエラルキーのことであり、性にもとづく集団間の階層性を実体的に反省した概念である。それは、マルクス主義における「階級」、黒人解放運動における「人種」、民族 解放運動における「民族」といった概念の、フェミニズムにおける相当物であり、被抑圧集団としての自覚を明らかにした階層概念である。
 ちょうどマルクス主義の用語で「階級的視点」というのが、被抑圧集団としてのプロレタリアートの立場から物事を見るという意味であるように、フェミニズムにおける「ジェンダー的視点」というのは、被抑圧集団としての女性(ジェンダーとしての女性)の立場から物事を見るということである。
 このような意味でのジェンダーは、いわゆるリベラル・フェミニズム(第二波フェミニズムの主流派の潮流)にはなく、ラディカルなフェミニズム(狭義のラディカル・フェミニズムやマルクス主義フェミニズム)に特有なものである。つまり、リベラルなフェミニズムとラディカルなフェミニズムとを分ける分岐点こそ、現在における男女間の関係を単なる「不当な区別」と見るか、支配と従属の階層関係ないし権力関係と見るかという点にある。
 ラディカル・フェミニズムもマルクス主義フェミニズムも、男女間の関係を支配・従属の階層関係とみなしている点では共通しているが、では両者の分岐点はどこにあるのだろうか。男女間の権力関係を、主としてセクシュアリティ――性関係、性行為、性的能力、生殖、等――をめぐるものとみなすのがラディカル・フェミニズム、主として女性労働――家事労働、賃労働、性分業――をめぐるものとみなすのがマルクス主義フェミニズムである。つまり、ラディカル・フェミニストにとって、女性のセクシュアリティをめぐる男女の権力関係が「階層としてのジェンダー」を構成するのに対し、マルクス主義フェミニストにとっては、女性労働をめぐる男女の権力関係が「階層としてのジェンダー」を構成する。
 そして、ラディカル・フェミニズムの最初の2つの代表的著作こそ、このケイト・ミレットの『性の政治学』とシュラミス・ファイアーストーンの『性の弁証法』なのであり、どちらもセクシュアリティをめぐる権力関係に主たる焦点をあてている。前者は男女の性的関係に、後者は女性の生殖能力に。もちろん、両名ともこれだけを論じていたのではない。すでにケイト・ミレットの著作には「無償の家事労働」の果たす経済的・イデオロギー的役割について論じられている。だが、主戦場はあくまでもセクシュアリティをめぐる権力関係なのであった。
 
   ケイト・ミレットと「家父長制」概念
 もともと「家父長制」という概念は、多くの人々が指摘しているように、近代以前の歴史的に特定の社会形態を指すものとして用いられてきた。何らかの家族共同体ないし部族共同体の内部で家父長による絶対的・人格的支配が貫徹されている形態を示す概念として、あるいは、より広く人格的な支配・従属のヒエラルキーが貫徹している社会を示す概念として用いられてきた。
 この概念を近代以前の歴史的概念としてではなく、むしろ歴史貫通的で社会全体に 普遍的に存在する「男性による女性の支配・抑圧の構造」を含意するものとして最初に現代フェミニズムに持ち込んだのは、ラディカル・フェミニズムの理論的創始者の一人であるケイト・ミレットである。
 彼女はまず家父長制概念を確立するにあたって、「政治」概念の再構成を試みている。一般に「政治」とは近代ブルジョア社会においては、経済や文化や日常生活に対置される公的世界の総称であり、あるいは国家関係を中心とする諸制度・諸実践の総体であった。それに対しケイト・ミレットは、政治をそのような特殊な世界に限定せず、「一群の人間が他の一群の人間によって支配される権力構造的な関係、仕組み」(Kate Millett, Sexual Politics, University of Illinois Press, 2000, p.23 [邦訳、69頁――訳文は原文にもとづいて修正されている]) としてとらえ、人種間の関係と並んで、男女間の関係はまさにそのような意味での政治的関係であるととらえた。この男女間の権力関係を表現する特殊な用語が「家父長制」であった。
 「われわれの社会は、他のあらゆる歴史上の諸文明と同じく、家父長制である……。軍事、産業、技術、大学、科学、行政官庁、財政――要するに、社会における権力のあらゆる通路は、警察の強制力まで含めて、完全に男性の手中にある。……家父長制的統治というものを、人口の半分を占める女性が残りの半分を占める男性によって支配される制度とするなら、家父長制の原則は二重であるように見える、すなわち、男性が女性を支配し、また年長の男が若い男を支配するというように (ibid., p.25 [邦訳、72頁]) 」。
 この引用文の最後のフレーズから、ケイト・ミレットが家父長制の定義として、男性が女性を支配することと、年長の男性が若い男性を支配することの2つを含めているという解釈がしばしばなされている。だが、語尾で「ように見える」と書いているように、ミレットは、続けてこの原則の例外について書き、とくに第2の原則(すなわち年長男性による若い男性の支配)の方が、近年ますます破られるようになっている事実を指摘している。したがって、ケイト・ミレットにおいては、基本的には「家父長制」は「男性による女性の支配・抑圧の構造」として理解されていたと解釈されるべきだろう。
 こうした概念化の意義については、いくら強調してもしすぎることはない。まず第1に、それまで個々ばらばらに把握されがちであった性差別がはっきりと一つの全体的構造として「目に見える」ものになった。第2に、そのことによって、それまで目に見えなかった性差別も見えるようになった。第3に、そうした差別が偶然や男性の個人的気まぐれによって起こるのでも、前近代の単なる遺物でもなく、現代社会における男女のヒエラルキーに構造的要因を持つものであり、この構造をなくさないかぎりなくならないものであることが明らかとなった。
 
   ケイト・ミレットのセクシュアリティ論
 すでに述べたように、ラディカル・フェミニズムの理論的創始者であるケイト・ミレットとシュラミス・ファイアーストーンは、ともにセクシュアリティをめぐる権力関係に女性抑圧の根源を見ていた。だが、こうした共通性にもかかわらず、両者の議論には深刻な相違がある。
 まず第1に、ケイト・ミレットが主として、男女の性行為と男性の性的快楽において表現され行使されている男性優位の権力関係を議論の中心にすえたのに対し、シュラミス・ファイアーストーンは、女性の生殖能力と妊娠・出産のうちに女性抑圧の根源を見た。
 たとえばケイト・ミレットはその大部の著作『性の政治学』を、ヘンリー・ミラーの小説に描かれている男女の性行為の分析からはじめている。その中で、主人公と一体化した作者ミラーが友人の妻をどのように性的に自分のものにしたかを得々と語っている場面を引用しつつ、次のように述べている。
 「読者がこの場面で主人公を通して経験しているのは、超自然的とも言える力の感覚である――もし読者が男性ならばだ。というのは、この文章は、性交の興奮をかきたてるように場面設定や細部や文脈を生き生きと想像力豊かに用いているだけでなく、それはさらに、弱くて従順でかなり愚かな女に対する支配の男性的主張でもあるからだ。それは、男女の交わりという根源的レベルにおける性の政治の一例である。男性主人公および読者の満足感のいくらかは、疑いもなく、この男性自我の勝利から生じている(Ibid, p.6. [邦訳、40〜41頁])」。
 男性における性的なもの(セクシュアリティ)が女性に対する支配と権力の行使に深く結びついていることがここでは明確にされている。ミレットは、現代のさまざまな文学作品における性描写の分析を通して、この事実を執拗に追求する。その鋭敏な筆致は、一枚また一枚と性の神話を包むヴェールをはがしていき、男性のセクシュアリティの性差別性を暴露していく。そして、この性差別的セクシュアリティの極限においては、それは殺人とさえ結びつくのである。ミレットは、ノーマン・メイラーの小説の中にその結びつきを発見する。
 「作者<ノーマン・メイラー>は「殺人は大きな安堵感を約束するものである。それは断じて非性的なものではない」と断言する。……メイラーの男らしさの空想の中では、性的なもの(sexuality)と暴力とが分かちがたくからみあっているために、「殺したいという欲望」というフレーズは、真に性欲を促すものとなっている」(ibid., pp.318-319 [邦訳、537〜538頁])。
 男女の性交や性欲における男女の権力関係を見据えたケイト・ミレットに対し、シュラミス・ファイアーストーンはセクシュアリティのもう一つの側面、すなわち女性の生殖能力や妊娠出産に議論を集中する。しかも、ファイアーストーンの場合は、それが同時に女性の抑圧の原因論ともなっている。ケイト・ミレットは、すでに存在している男女のヒエラルキーを執拗に分析したが、そのヒエラルキーそのものが生じる原因については寡黙であった。だが、それが男女の生物学的差異から直接に生じるものではない、ということは少なくともはっきりしていた。
 男性優位主義は、他の政治的信条と同じく、最終的には体力に宿るものではなく、生物学とは無縁の価値体系を受け入れるところにある。(同前、75頁)
 
   ファイアーストーンのセクシュアリティ論
 以上のようなケイト・ミレットのセクシュアリティ論に対してファイアーストーンは、男女の生物学的差異に女性抑圧の直接的原因を見る。この点がミレットとファイアーストーンの相違の第2点目である。
 「経済的階級と違って性階級は生物学的事実から直接生じている。すなわち、男と女は異なったように創られており、その有利不利の程度も異なっている。ボーボワールが指摘しているように、この差異そのものが階級制度――ある集団による他の集団の支配――の発展を必然ならしめたのではないが、これらの差異の生殖機能が階級制度の発展を必然ならしめたのである」(Shulamith Firestone, The Dialectic of Sex, p.8.[邦訳、14頁])。
 ファイアーストーンによれば、「性にもとづく力の不均衡は生物学的に基礎づけられている」が、そのことを認めることは「われわれの敗北を認めることにはならない。われわれはもはや動物ではないのだから」(Ibid., p.10.[同前、16頁])。そこでファイアーストーンが提起する解決策は、フェミニスト革命という政治的方策と、人工生殖という技術的方策の2つである。
 「……性にもとづく階級制度は基本的な生物学的条件に起因してはいるが、このことは、女性の抑圧の生物学的条件が除去されれば女性と子供が解放されるということを意味してはいない。……経済的階級の廃絶のためには下層階級(プロレタリアート)による反乱とプロレタリアートの一時的な独裁、彼らによる生産手段の奪取を必要とするように、性階級の廃絶のためにも、下層階級(女性)による反乱と、再生産に対する支配権の奪取を必要とする。すなわち、自分自身の身体に対する女性の所有権の完全な回復だけでなく、人間の生殖力――出産と育児に関する新しい技術、出産と育児に関するあらゆる社会的諸制度――に対する支配権の(一時的な)奪取をも必要とする。……両性のために一方の性だけが種の再生産を行なうといった状況は、人工生殖(少なくともその選択の余地)によって置き換えられるだろう(Ibid., pp.11-12.[邦訳、17頁])」。
 このような議論に見られる生物学主義的側面はその後、さまざまなフェミニストから大きな批判を受けることになる。とはいえ、ファイアーストーンは、生殖能力や出産が女性の社会的地位にとって持つ大きな意味を明らかにしたし、また「自分自身の身体に対する女性の所有権の完全回復」という、その後フェミニズムにとってかなり共通認識となる目標を立てることにも成功した。
 その後、ラディカル・フェミニズムは、ミレットとファイアーストーンにおける2つの相違点をめぐってさまざまな分岐をしながらも、その共通点、すなわちセクシュアリティをめぐる男女の権力関係を解明することに向けて発展を遂げていくのである。
                          (by MRT)